生きる意味に気付いた日

生きていくことを考え始めたのは

いつの頃だっただろうか?
学生時代は、学校に行って

そして家に帰ることのいずれかが全てで、
友達か家族と過ごす時間が全てであった。

年頃になり友達の種類も多様になり、学校だけの友達、
帰宅後も遊ぶ友達、部活動で苦楽を共にする友達、
そして恋人。
新しいカテゴリーができました。

 

真剣に未来を共にしたい人が出来ました。大人となった今では
何も解らない年頃に出逢った、幻想の様に、若さを物足りなく
感じてしまう自分がいます。何も手がつかないくらい彼女を想い
出口のない妄想の中で彼女を大切に想っていました。

 

楽しいこともあったし、嫌な思いもしました。当時は
全てに全力で、ゆったりと今の幸せを感じることが出来ない
張りつめた感情をおし抱いていました。

 

ちょうどその頃、父が失業しており家の中も荒れていた事が
私にとっては、他者への引け目となっていました。
彼女の家にはお邪魔しても、自分の家には呼べない。
そう想っていました。当然貧しい生活を余儀なく受け止めて
おりましたが、やはり辛かった。 お金がないと家族は
仲良く出来ないのかと 想ってました。

そんなある日彼女の家で二人と彼女の母と三人で食事を
する機会があり、今でもありありと 覚えており
忘れられない会話があります。

 

『Kくん 人生で一番大事なものってなんだと思う?』

私: 経済力。お金が生活には大切だと思います。

『そっかー。でもね お仕事や勉強をしようっていう気持ちは
どんな自分になりたいかって気持ちが大切だと思うの。
将来こういう自分になりたいってことなの。
夢があればね、人はいきていけるのよ。』

 

その時 私は目が潤んでしまいました。

こぼれない様に トイレに立ちましたが衝撃的でした。

我が家にはお金がない。
進路も経済的におぼつかない。お金のため働きたいと
おぼろげながら 進路を考えていました。具体的には
郵便局の国家公務員試験を。

そんな気付きを得て、コンピュータの専門学校を目指すことに
なったのですが、幸にも奨学金を受けれることになり
望洋としたものだが、明日につながる地続きの道を
見出した様な気になりました。

 

完全なる親の庇護からの脱却と言うには疎かではあったが、
半歩外に出た気がしました。 この時から おぼろげながら
自分の生きていく道を、ボンヤリと意識し始めた様に思います。