三日月の見えない部分を見る

悲しいことがあると、ふいに空を見上げる。
そんなことは それとはなく 自然にしてしまってることが多い。
青空 夕焼け空 夜の星座 そして月夜。

涙がこぼれそうなとき 溢れない様に とか
大きなため息を 気道を開いて 空に向かってついたり
ココロの状況は いつも違うから その時々で

私が小さな頃のこと。記憶している夜空がある。
父に叱られた2歳か3歳の夜。
メソメソ泣く子の気を鎮めるためだと思う。
母に抱かれて お月様を見た。
『月にはウサギが2匹いてね、お餅をついているんだよ。』
云われると 子供の目には ハッキリと そう見えてしまう。

泣くのを忘れて、初めて気がついたことに夢中になり、
ずっと月を見ていた。

大人になるまで一体どれだけ夜空を眺めたことだろう。

オリオン座のシリウスが大好きだった。
好きだからよく見ていたある日、三つ星へ向かって
流れ星が流れた。 願い事を 三回なんてとても無理だった。

今日も夜空を眺めた。 三日月だった。
純粋だった子供の頃は、光る月を眺めていたのに、
今は月が丸いと知っている。

三日月の、見えない部分を 一生懸命 探してしまう。
不思議と、見えないものが見えてきてしまう。

見えなくてもそこに存在しているのだと、
信じ切って。

見えないものが、存在する。
私の目には写らないものが、確かに存在することを
疑いもなく信じ、安心する。

人の心も、そうだと思う。 家族であったり、
恋人であったり。 私をいつも見ていてくれてると
思う存在があることは、張合いや生きがいに通じる。

たとえ目に写らなくても、確かな存在を私は求めている。
だから 三日月の見えないところをいつも見て、
そこに在るのだと 念ずる。

見えざるものを信じたい時もある。