振り切ったメーターの果て

新しいものを見つけた よろこびと

失ったものを見つめる哀しさは

到底 分かつことなど 出来ない。

そんな事など知っている。

好むと好まざるとによらず

時は刻一刻と 刻むのだ。

双方に心があり インターフェースなど第三者が

取れるわけは 断じてない。

そんな境遇に陥った時 人は何ができるのだろう?

とっちらかった 感情と 正対出来る人は居るのだろうか?

例えば、そんな境遇の中、失った自分の半分を

同じ様に無くした アイバンの誰かが

理解できる事なのか 私は知らない。

ただ朝日が昇る様に 潮の満ち引きの様に

殺した人を惜しむ殺人者の様に

ごく当たり前の事と 人為的な事などが

交錯する世の中で 誰が正しい判断を できるのだろう。

死ぬまでわからない筈の正義を振りかざす人と

償うことのできない 重い荷物を負った人と

私には同罪に思えてしまう。

未確認のことを 人に押し付けてはいけない。

あなたも私も。

医学の発展が、薄めてしまった危機感を

常に抱いていたい。

終わることを怖いと思う人間は

素直な気持ちを 吐ける時もある。

好きな人をスキと言える 勇気と

 

云うことの出来ない 優しさを

理解できる 大人になりたい。

 

そして 私は今 人が好きです。